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役員紹介 第2弾!!

マルタの非常勤役員(取締役7名・監査役3名)の方々に、産地の皆さんへ向けて自己紹介をお願いしました。新年号から9月号まで5回に渡って連載いたします。「農業に携わったきっかけ、農業の面白さ、地域紹介、経営方針、現在の一番の関心ごと、マルタの役員になった意気込み」など様々な話題が盛り込まれています。

株式会社マルタ 取締役 株式会社東海マルタ 本橋 克晴さん

「原点を見つめて」

初めてモグラ便りに登場させていただくモグラ堆肥センターの本橋克晴です。日頃、産地の皆さまにはモグラ堆肥をご活用いただき、本当にありがとうございます。私もマルタの役員をさせていただいて3年の月日が流れました。この組織の中に身を置く人間として、貢献しなければと決意を新たにしております。

今回は堆肥工場の生い立ち・創業当時のエピソードと、今後のマルタという組織(生産者の皆様・事業本部・堆肥センター)の本来あるべき姿という2つのテーマについて書いてみたいと思います。

今を遡ること約30年、私が高校時代に別れを告げようとしていた頃ですが、堆肥工場は現在の御前崎市の地ではなく、堆肥センターの社長宅(つまり私の生家)から少し奥へ入った田んぼの埋立地で産声をあげました。創業当時のメンバーは、社長と工場長と臨時雇い1名。モグラ堆肥も赤袋のみで、原材料は現行のものとは違い水分を多量に含んだ産業廃棄物が中心でした。そのため臭いも強烈で、私が堆肥工場でのアルバイトを終えた後、街へ繰り出そうにも臭いが気になって思いとどまるほどでした。作業性も劣悪で、しばしば投入機内で詰まり、1日の出来高が50袋なんてこともありました。

そんな状況で2年程、その地で堆肥を製造していたわけですが、近隣住民からの村八分に近い非難や市からの立ち退き勧告を受け、現在の御前崎市(当時は浜岡町)に移転を余儀なくされた経緯があって現在に至ります。当時の社長(私の父)の苦悩たるやいかばかりだっただろうか・・・推察はできても身を持って体験していない私には、残念ながらこの程度の文章表現しかできません。こういった大変な時期を皆様のご協力により乗り越えながら、現在の堆肥センター(モグラ堆肥)があるのだという事を私自身、常に意識し、行動すべきだと痛感しております。


創立当時のモグラ堆肥センター (イメージ図:マルタ社員再現)

そして、マルタという組織について、私自身がこうあるべきではないかと望む事は、一言で表現すれば「原点回帰」です。つまり、堆肥センターが丹精込めてモグラ堆肥を製造し、産地の皆様にその堆肥でおいしくて安心して食べられる農産物を提供していただき、それを事業本部が自信と誇りを持って販売にあたるという一連の流れに他なりません。その繰り返しの中でこそ、マルタの歴史は刻まれてきたはずだと思うからです。

ややもすれば書類優先主義になりがちな昨今の農産物取引において、マルタが今一度「おいしさ」の追求をすべきではないかと思います。もちろん書類が重要であることは時代の流れであると理解した上での話ですが、「味の追求ありきの農産物取引」であり続けてほしいのです。
文章を書くのも皆様の前で話すのも苦手な自分ですが精一杯書いてみました。稚拙な文面ご容赦願います。

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